先輩からのアドバイス

中学受験・合格体験記

雲雀丘学園中学校

M.S さん (所属:千里中央校)

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他の受験生は自分より賢くない

私は、3年生の夏期に日能研に入塾しました。そこから関西統一入試まであと100日と受付前に貼り出されるまではとても長い道のりでした。しかし、残り100日(入試まで)になってからは入試まで時が早く流れているように感じました。その100日間は過去問を解いたり、わからない問題の復習をしたりと入試に向かってまっしぐら。友達と仲良く過ごした日能研がもう卒業かと思うと寂しかった。受験当日、1日目の午前と午後は第1志望校である雲雀丘学園中学校を受験した。応援に来てくれている日能研の先生は知らない先生ばかりだったけれど、エールをもらった。勇気をもらった。午前は日能研r4でも偏差値49と自分の今までの公開模試でも足りていて、合格できる余地はあった。自分なら合格できると信じて開いた問題。国語、理科、算数、社会の順に試験があった。国語は順調。先生に言われた通りにサクサクと問題を解いていった。しかし、事件が起こったのは次の科目「理科」であった。6年生になって急に偏差値が48、49前後だったのが55〜60前半程まで上がりもはや点の稼ぎどころとも言えるくらいになった「理科」。のはずだった。大問は4つ
あって今までの過去問と同じ形式。大問の4番に差し掛かる時には、40分中10分は残っていた。良いペース。最後の問題はネタバレになってしまうので書かないが、自分自身の1番得意な分野だった。最後の大問4番に集中して残りの時間なんて気にもしていなかった。試験終了の合図は
チャイムで知らされる。途中の問題で手こずっていたらチャイムが鳴ってしまった。目で残っている問題を見つめていると残り8問もあった。
雲雀の場合いつも1つの問題は2点か3点なので、それのせいで16〜24点も落としたことになる。今まで先生には各教科ミスをしてもいいのは最高でも2〜3問と知らされていた。限度を余裕で超えてしまっている。
理科が終わった時泣きたくなった。試験が終わったらお母さんになんて言えばいいだろうとも考えていた。もう算数で取り返すしかない。そう思った。算数の試験が始まる。しかし今年の算数の問題は緊張のせいか例年と比べて難しく感じ、解き方もあまりわからなかった。自分では理科のミスをとても補うことのできないものだと思った。そこでふと担任
のH先生の言葉を思い出した。「自分がわからない問題は周りの受験生もわかっていませんので」という言葉。少し安心した。さらに、「周りにいる他の受験生は自分より上じゃない。自分が1番賢いと思って入試に挑んでください」という言葉も同時に思い出した。さらに安心した。最後の科目まで集中を切らさずにやろうそう思った。やり切った。そして
1日目の午前は終わった。学校には残らず家に帰って昼食をとり、午後の雲雀の入試に臨んだ。午前で慣れたからか午後はあまり難しく感じなかった。そして迎えた2日目。自分からすれば、もう1番の壁は打ち破ったのだ。昨日よりは緊張しなかった。どっちかというと昨日の試験の合否の方が気になって仕方がなかった。明星中の試験が終わり17時に合格発表が出るのでずっとパソコンに目を向けていた。おそらくいろんな人に期待されていたと思う。祖父、祖母、両親、友達、いとこ、おじやおば。あの頃から中学受験をしない子達のように自由に遊んだりできなかったのだから。あとはマウスをクリックするだけ。画面には合格か不合格かだけが映し出される。17:00になった。2つの意味での「泣く」準備はできていた。ポチッ。おめでとうございます合格と表示された。とても嬉しかった。家族で喜びを分かち合った。今までの努力が報われたような気がして爽快感を覚えた。そして2日目が終わった。3日目は記念受験があった気を抜かずに頑張った。しかし合格には届かなかった。でも第1志望校に合格したので結果オーライだ。そう思った。
3年間と半年私の成長に寄り添ってくれた先生方ありがとうございました。他にも支えてくれた方々ありがとうございました。みなさん努力は絶対に裏切ることはありません。気を抜かずに最後まで走りきってください。栄冠を掴みとれ!

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