松岡 侑希 さん (所属:高槻校)
僕は同志社中学校と立命館守山中学校と大阪立命館中学校と関西大倉中学校と岡山中学校に合格しました。
4年生の頃初めて日能研の席に座りました。とても緊張していてはじめの頃は受験という存在を知らなかったのです。そして初めての夏期講習この頃の夏期講習はあんまりきつくはなかったです。
ですが、徐々に授業内容が難しくなってきたのです。そして4年生初めての公開模試は偏差値43でした。あんまり偏差値という概念を知りませんでした。しかし4年生の最後になってくると45ぐらいに上がってきました。5年生の時授業時間が長くて驚きました。そして最初のテストでは、自分を過信してしまい大失敗に終わってしまいました。そこで初めて泣きました。そんなこともありながらも、1番上のクラスの発展クラスに上がりました。そして過信という失敗を学んだ僕は急に偏差値が56に上がりました。そして夏期講習。毎日きつくてここでも泣きました。そして同志社中学校という学校のオープンキャンパスに行きました。志望校は同志社中学校に決まりました。
そして6年生。同志社特訓に入れる資格をゲットした僕はウキウキで夏期講習に挑みました。そして時間割を見た時に絶望しました。毎日6時間以上も勉強をしていました。
時には自習室も使っていました。そして初めての同志社特訓はとてもきつかったです。
6年生の後期では、同志社マスターを何周もして同志社によく出る問題を極めました。でも、一方立命館守山は過去問の相性がすごく悪くて合格点に届いたことが、1回しかありませんでした。そして12月。ようやく2科になり、うれしかったです。そして国語算数により集中できました。6年生はとにかく毎日泣きました。そして1月に入り学校に行けなくなりました。また友達と会いたいと思っていましたが今は目の前のことに集中しろと親に言われました。そして過去問を何周もしてもう合格できるところまで行きました。そして入試前日、すごく緊張して前日の夜震えが止まらなかったです。同志社中学校の入試をはじめますと聞こえました。最初は国語です。国語の問題を解いているときにも手の震えは止まらなかったです。落ちたらどうしようとずっと考えていました。もう国語が終わった瞬間落ちたと、確信しました。算数はすごく出来ました。立命館守山の入試、なんと滋賀県まで応援に来てくれた先生がいました。それが力になり、すごく集中できました。車で帰っている途中、明日に同志社中学校の合格発表があると思ったらすごく緊張しました。そして大阪立命館と関西大倉はどっちとも完璧でした。そして合格発表の時、1人で見て合格していました。その時リビングに走って合格ー!と叫びました。その時隣人はたぶんすごく迷惑だったと思いました笑。それで全ての中学校に合格でき学校に行き友達に全部合格と伝えたらすごく喜んでくれました。
そして気づきました、人は悔しいと思った数だけ強くなれると。
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