T.Y さん (所属:西宮北口駅ビル校)
長いようで短い受験が無事終了しました。
3年生の3月に日能研に入った時には「どこに行きたい」ということもなく、とにかく我武者羅に勉強に取り組みました。
成績は右肩上がりで上がっていき、
4年生の秋には灘特進クラスに入れました。
でも、そこからシンドい半年間が待っていました。
クラスが上がったことで授業も難しくなり、
宿題も大きく増え、毎日の寝る時間も少し遅くなっていきました。
「絶対に負けたくない」という気持ちで、
毎日6時に起きて朝の勉強時間を確保していきました。
でも、無理は続かず、5年生の4月頃から成績が落ちだしました。
塾で出された課題以外にも取り組んだりしていたことから、
「勉強をこなす」ことになってしまっていて、
しっかりと考えて取り組むことが出来ていませんでした。
先生やお父さんにも相談して、「やること」を少なくして、
一つ一つを頭にいれるように取り組んだところ、
5年生の秋には元の成績に戻りました。
そこからは「余計なことはせずに塾から出された課題に集中して取り組む」ことを続けてきました。
大好きなサッカーも5年生の1月までは両立出来ていましたが、
6年生になるタイミングで勉強に集中するために1年間お休みすることにしました。
その後、6年の8月まで灘特進クラスにいましたが、6年の夏に先生から「このままいけば灘の合格率は5〜6割」と言われました。
灘もチャレンジ出来るラインまで勉強を続けられましたが
「確実に合格を取りたい」という気持ちが強く、
灘にチャレンジするのではなく、4年生からぼんやりと目標にしていた甲陽を受験すると決めました。
6年の後半まで志望校に悩む人もいると思います。
ですが、学校毎で出題傾向が変わるので、志望校は早く決めた方が、僕は良いと思いました。
偏差値は関係なく、自分自身が「いいな」と思う学校を早めに決める事が、合格を掴むために必要だと思います。
結果として、第一志望として掲げた「甲陽学院」に合格することが出来ました。
最後に、灘特進・選抜の先生方には本当に助けていただきました。
改めて、本当にありがとうございました!
これから受験が待っている受験生のみなさんには、
日能研の先生が言っている事を信じて突き進んでもらいたいと思います。
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