「受験のプレッシャーでしょう。星光の合格ラインは6割から7割で、逆に言えば3割落としてもいいんです。焦らず落ち着いてやれば大丈夫と私からも声をかけておきます」。
その言葉を伝えると、息子は「うん」と一言。自分でも腑に落ちたのか、そこからは過去の入試問題に集中して取り組み、正月も寝食を惜しんで勉強していました。次第に目標としていた合格者平均も超えるようになり、自信を持った状態で入試当日を迎えました。
朝、息子と駅で電車を待っているとちょうど日の出を迎え、まるでオレンジ色の温かな光に包まれたように感じました。学校の門をくぐり、日能研の先生たちから激励を受けた息子は「行ってくる」と言って試験会場へ。
「やりきった」。そんな言葉が聞こえるような表情を見て、それまでの苦労が無駄ではなかったと確信しました。
振り返ると、3年間の受験生活は思い通りにいかないことばかりでした。
3年生の2月から通い始めた西宮北口校では2組からのスタートでした。当初は夜に勉強する習慣が身につかず、家では居眠りばかり。目を覚まそうとレモンを口に含ませたり、温めたタオルで顔を拭いたりしました。宿題が終わらず、理科や社会の復習がほぼ手つかずのまま育成テストを受けることもありました。
塾生活にも慣れて成績が上向くと、11月に難関チャレンジテストを受けて合格し、5年生から甲陽学院を目指すKコースに入りました。
その頃、少年野球チームで投手をしていましたが、土日のどちらかはテストや特訓で練習を休み、公式戦が終わった後に授業に遅れて駆けつけることもありました。勉強と野球の両立に苦しみ、1月にあった5年生最後の公開模試で失敗し、6年から西宮北口校である甲陽特訓の受講資格を失いました。
親子で悩んだ末に、二つの決断をしました。一つは野球をやめることで、何度も話し合ったうえで小学校生活最後の1年間は受験に専念することにしました。
もう一つは教室を変えることで、大阪星光、西大和、東大寺をめざす「星西東特訓」を受講するため、天王寺校の選抜クラスに通うことにしました。
前年の夏に大阪星光に見学に行った際に、息子は学校の雰囲気が気に入ったようで、何より野球部があり、「ユニフォームが格好いい」とこの頃にはすっかり前向きでした。
教室の変更については、星西東特訓を担当するK先生に相談させていただきました。自宅から天王寺校まで電車を乗り継いで片道50分以上かかるうえ、西宮北口校への未練があったのですが、「ご本人が前向きなら思い切って通わせてみてはいかがですか。一緒に頑張る仲間がいると心強いですよ」と背中を押していただいたことが大きかったです。
息子は、すぐに友達もできてクラスにもなじみ、成績も上向いて、夏前には西宮北口校に戻って再び甲陽学院をめざすことも選択肢に入りました。それでも、「選抜クラスの仲間と一緒に」という本人の強い思いから、引き続き天王寺校でお世話になることにしました。
後期から難関校対策のテストが始まると、特に算数で壁にぶつかりました。あまりの計算ミスの多さに、式の立て方から見直し、計算の過程を丁寧に書き記すようにしました。
また、初見の問題で粘れず、点数を取りきれないもどかしさがありましたが、面談の際に特訓テキストを繰り返し解くようアドバイスをいただき、宿題ノートにコピーした問題を貼って、粘り強く取り組みました。
それでもなかなか成績は上向かず、懇談会後に各教科の先生方に相談すると、「勉強量はクラスで一番。自信を持ってください」「入試直前まで伸びます。辛抱強く待ってやってください」と励まされ、我が子を信じることにしました。
息子は早生まれで、ほかの早熟な子たちと比べてどうしても授業での理解が浅くなりがちな印象を持っていました。
それでも息子は「わかる」まで何度も繰り返し問題を解くことで、自分なりに解き筋を頭にたたき込もうと努力していました。その頑張りを評価していただいたことは、本人にとってもこれからの中高6年間を過ごすうえでの大きな自信になったと思います。
天王寺校に在籍したのはわずか1年間でしたが、とても充実した日々でした。息子を最後まで信じ切ることができたのは、親子ともども支えてくださった先生方、スタッフのみなさまのおかげで、いくら感謝してもしきれません。ありがとうございました。