西岡 結梨 さん (所属:加古川校)
私は啓明学院のチアに憧れて、5年生の秋から日能研に通塾しました。合格した時は、飛び上がるほど嬉しかったです。
初めて日能研に通塾した時は、先生のオーラに緊張しました。頭がいい子も沢山いて、テストをした時は私と頭がいい子の差がすごくありました。6年生になると、みんなは成績が上がっていくのに私は成績の低さに悲しむ日々が沢山ありました。先生にも緊張して、質問できなかった。教室の席は嬉しい日もあったけど、絶望する日もありました。毎週月曜日のテスト結果日は嫌いでした。
毎回母に怒られたように思います。
夏期講習は自習室に毎日通いました。そこで塾のお友達が出来て、勉強を教えてくれて、辛くなった私をよく励ましてくれました。その日からだんだん先生にも質問ができるようになりました。先生は、何気ない話も聞いてくれました。すごく嬉しかったし、授業も楽しくなりました。6年生の秋には凄く辛いこともありました。4月から癌が分かり、病気と闘っていた大好きな祖父が11月に亡くなりました。父親も夏からはアメリカ転勤になり、遠くへ行ってしまいました。
いろんなことがあって、母とよく涙を流しました。そんな中、「大丈夫だよ!」と声をかけてくれる友達、先生や家族が支えてくれました。私の祖父は、塾の講師でした。癌になっても、ベッドの上で勉強を教えてくれました。誰よりも応援してくれて祖父の言葉には、力強さがありました。絶対に最後まで頑張る‼︎祖父と約束したこと守り続けました。
父親も、アメリカからメッセージをくれて身体を心配してくれました。
冬期講習では、なかなか啓明学院合格ラインには届かない。最後の公開模試は絶望でした。母と一緒に今までの学習を振り返り、先生や祖父が教えてくれた問題を何度も丁寧に解き直しました。一生懸命頑張りました。
算数最後の授業で、全力を出し切った結果高得点取ることができました。みんなすごくびっくりしてたし、先生までが目を見開いていました。すごく嬉しかったです‼︎受験当日、今まで支えてくれた全員の顔が思い浮かびました。日能研の先生が啓明学院の前で待っていてくれて少し緊張がほぐれ、一緒に頑張ってきた友達と会って、絶対受かろう‼︎と約束して私は試験に挑みました。試験終了後、面接会場で母に会いました。面接前でドキドキしたけど、母と話しができて緊張がほぐれました。母が言うにはその時の私の顔は、やりきってスッキリしてた、と言っていました。面接は楽しかったです。質問に対して、自分の考えを伝えることができました。そして合否の日緊張して、心臓が出ていくかと思いました。私は結果の画面を押すことができず、母に押してもらいました。「おめでとうございます、合格です!」と言う文字が出てきて、2人で抱き合いすごく喜びました。アメリカにいる父も、夜中だったのに起きてくれていて一緒に泣いてくれました。
天国にいる祖父にも合格したよって報告できて、とても嬉しかったです。
みんなが泣いて喜んでくれました。
1番嬉しかったことは、一緒に頑張ってきた日能研の友達も合格していると聞いた時です。一緒に通えることが楽しみです。
学校の先生や友達に報告すると、自分が受かったようにすっごく喜んでくれた友達もいました。私の受験勉強の期間は、家族にとってもしんどく辛かった日々もあったけど、祖父や父と過ごした大切な時間の中には、楽しい事、嬉しい思い出がたくさんあります。みんなが笑顔になってくれて、すごく嬉しかったです。3歳からチアを続け、毎日の練習が全国大会への結果に繋がった時と一緒です。
絶対諦めないことが大切。チアの日々も勉強の日々も一緒なんだと思いました。
日能研の先生方、夜遅くまで丁寧に教えてくれて本当にありがとうございました。これからは大好きなチアができます。啓明学院に通い、勉強も頑張りながら部活でチアをし、今まで支えてくれた家族、先生や友達にチア姿を見てもらい、笑顔で応援することでみんなが元気になってくれたら嬉しいなと思います。受験が終わって、毎日日能研に通塾していた日々がなくなって寂しい気持ちになりました。今度は啓明学院の制服を着て、先生に会いに行きます。
本当にありがとうございました。
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